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雑記帳

風景論

関連展示

風景論以後@東京都写真美術館

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紹介文

風景は、初期ルネサンスに遡る風景絵画に代表されるように、芸術や美と結び付けて語られ、西洋の近代芸術の主題となってきました。また明治維新後の日本においては、その概念が近代化の過程において大きな役割を果たしてきました。他方で、カメラの眼からみた撮影者の視点をうつしだすという意味で、写真映像という視覚芸術において、風景はそのメディアの起源から現在まで常に重要な主題でした。そして「風景は何か」を問いかける風景論は、常に社会的構造や美的基盤の在り方を語り、不安な時代や社会状況を契機として登場してきました。どこにでもある風景を現実の側からとらえ直す、視覚芸術を通じて、文化、社会、政治との関係から風景を表現していくそのラディカルな方法は、1970年前後の写真家、映像作家に大きな影響を与えました。 本展では、こうした風景論をめぐる日本の写真映像表現を、当時の資料を交えて歴史的に再考するとともに、今日の現代作家にいたるまでの写真映像と風景の変容を、コレクションを中心に包括的に検証いたします。 また1階ホールで、出品作家による関連イヴェントおよび風景論をめぐる映画上映を行い、展覧会の魅力を多角的に紹介していきます。

東京都写真美術館

風景論

世界大百科事典 第2版

特定の視点・視角によって限定された視界にひろがる風景の印象論,観賞論,構造論(物的構成),意味論の総称。風景(山水)画論や庭園論と関係が深い。近代的な風景論は,風景の物的構造の科学的分析と,一方では観賞者の知覚,感受性といった心理的側面の考察との組織的統合化を目ざし,景観地理学や知覚心理学,とくに風土心理学geopsychology,造形美学などに依存しているが,まだ風景学としての体系化は試論的段階にある。

風景論(ふうけいろん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

風景論映画

現代美術用語辞典ver.2.0 - アートスケープ

1960年代末から70年代にかけての風景論争に関連した映画の呼称(風景論争については後述)。風景映画とも言われる。狭義には『略称・連続射殺魔』(1969/1975)と『東京战争戦後秘話』(1970)の2作品を指すが、論争から派生したフィルムや、類似した形式を備えたフィルムを指しても用いられる。
永山則夫による連続ピストル射殺事件の翌年、1969年に松田政男足立正生、岩淵進、野々村政行、山崎裕佐々木守の6名は、永山が見たはずの景色を辿りながらカメラを回して『略称・連続射殺魔』を制作した(正式名称は『去年の秋 四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった 今年の春 十九歳の少年が逮捕された 彼は連続射殺魔とよばれた』)。松田はその旅の経験を踏まえ、永山は地方の固有性が失われて均質化した風景を切り裂くためにこそ弾丸を発射したに違いないと指摘。どこにでもある風景の背後にある国家権力と資本主義を見透かし、情況論から風景論への転換を訴えた。松田の風景論は大きな反響を呼び、原將人(正孝)や中平卓馬など多くの論者を巻き込んだ風景論争へと発展した。『略称・連続射殺魔』は制作者たち自身の判断で「上映しない」方針がとられ、一度限りの試写会を行なった後は75年まで公開されなかったため、大島渚が監督した『東京战争戦後秘話』が先に一般公開された。『東京战争戦後秘話』は、どこにでもある風景ばかりを撮った映画を遺書として遺して死んだ男の物語という、明確に風景論を踏まえたフィルムだが、佐々木守と共同で脚本を執筆した原將人が、成島東一郎の撮影スタイルを批判するなど、風景論の理論的な洗練よりもむしろ個々人の風景観の相違が露呈することになった。
その後まもなく論争は収束し、論者たちは風景論の問題意識をそれぞれ独自に追求・発展させていく。松田は風景論から報道論・メディア論への転換を図り、足立は若松孝二とともにパレスチナに渡ってニュース映画『赤軍PFLP 世界戦争宣言』(1971)を制作。通称「赤バス」に乗り込んでの巡業上映運動を開始した。中平は風景という語にも残存する情緒や神秘性を剥ぎ取るべく物質論へと向かい、「植物図鑑」の提唱に至った。原もまた風景論から映画の肉体論への転換を掲げ、その試行はやがて『初国知所之天皇』(1973)として結実する。

風景論映画 | 現代美術用語辞典ver.2.0

参考文献

『風景の死滅 増補新版』,松田政男,航思社,2013
『見たい映画のことだけを』,原将人,有文社,1977
『見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977』,中平卓馬,オシリス,2007
『土瀝青 場所が揺らす映画』,佐々木友輔、木村裕之編,トポフィル,2014
『映画/革命』,足立正生、平沢剛,河出書房新社,2003
『映画への戦略』,足立正生,晶文社,1974
風景論映画 | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

ザオ・ウーキー

関連展示

アーティゾン美術館 | ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌフォーヴィスムキュビスムから現代へ

www.artizon.museum

ザオ・ウーキー

ja.wikipedia.org

  • 趙無極(1920年2月1日 - 2013年4月9日)
  • 中国の水墨画の伝統に根ざしながら、東洋と西洋の美意識が融合する抒情的な抽象絵画を発表。
  • 北京の名門の家系。杭州の国立美術学校に入学、その後、同校の講師に。
  • 1948年にパリ移住。オトン・フリエスに師事。グランド・ショミエール芸術学校のアトリエに通う。「中国のボナール」の評。
  • 1950年、アンリ・ミショーと出会う。初制作のリトグラフにミショーが詩をつけて展示。ほかに、ミロ、ピカソ、スーラージュらと交流。セザンヌからは自然に対するアプローチにおいて影響を受ける。
  • ヨーロッパ旅行中に、パウル・クレーの作品から影響、当時のアンフォルメルの動向も重なり、抽象化を深める。
  • アンドレ・マルロー『西洋の誘惑』の挿絵として制作したリトグラフが評価され、挿絵の仕事が続く。ランボールネ・シャールロジェ・カイヨワetc.
  • 1971年から墨絵の制作開始。友人イオ・ミンペイの設計したホテルに大作あり。
  • 1993年にレジオン・ドヌール・コマンドゥール賞、1994年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)。
  • 2017年5月に『29.09.64』、同年11月に『29.01.64』(1964年)がアジア人アーティストによる油絵の落札価格として世界記録を樹立(香港・クリスティーズ
  • 2018年9月、『Juin-Octobre 1985』(1985年)が上記の世界記録を更新(香港・サザビーズ

展示作品

  • 水に沈んだ都市(1954)石橋財団アーティゾン美術館
  • 無題(1958)個人蔵
  • 13. 10. 59(1959)個人蔵
  • 07.06.85(1985)石橋財団アーティゾン美術館
  • 24.12.95(1995)個人蔵 ◎
  • 18.13.2008(2008)個人蔵